6月

あと12日で20歳になる。

そこで今回はこの20年でやり直すチャンスがあれば戻りたいと思う時がいくつもある。

ので、記憶があるところから振り返ってみる

 

もし、5歳くらいのころに戻れるのなら

公園で一緒に遊んでいた男の子を投げ飛ばし、先生にめちゃめちゃ怒られた記憶があるのでそれを辞めておいた方がいいいって言いたい。

父から足技を教えてもらいそれを試したのであろう、今考えるとありえない。怖すぎる自分。幸い怪我をさせることはなかったと記憶しているけど、今の世界でもう一度その子に会ったら謝罪したい。

次に、同じくらいの時の出来事で、4つ年上の男の子に喧嘩をふっかけてしまい仕返しに頭を押され、そのままテレビの角に頭をぶつけて額に3cm程度の穴が空いた。痛かった記憶とかは特にないけれど最近友達にその傷なに?と聞かれる事があって案外傷が目立っているのだと自覚した。なんであの時挑発したんだ、自分。。

 

もし、小学生に戻れるのなら小4でバスケを始めたのでもっとコツコツ努力しておけと言いたい。それは勉強も同じだ。多分私はそのくらいの時期に自分は人より勉強ができないのではないかと思い始めている。それが諦めとなり、今でも勉強が苦手。

今だから言えるけどそのくらいの勉強を諦めないで欲しい。やればできると言ってあげたい。それから多分4年生の時は、友達をいじめている自分がいた。くだらないし、面白くないからやめろとも言いたい。

そのまま5年生にあがり、pcにハマっているころだと思う。今更ながらアバンティーズと検索をかけて動画を見て欲しい、いずれかあなたがどっぷりハマるものだから、そのうちにアバンティーズと検索をしてほしい。

小6になり、今思うとここは私の絶頂期だったんじゃないかと思う。

なんとなく仲のいい男子と子供ながら付き合ったりしていて、部活もめちゃめちゃ楽しかった思い出がある。ここで言いたいのは間違いなく勉強をしろ、コツコツなにかをやる習慣を身につけろ、って言いたい。

 

中学校に上がりとなりのクラスの男子をおもいっきりビンタした記憶がある。その時はノリでやっちゃってたと思うけれど、今考えたらヒヤヒヤする、怖すぎる。その男の子には土下座して謝りたい。今彼がそのことを覚えているか分からないので突然誤って記憶を蒸し返し、こいつ本当にやばいやつだなと思われるのが怖くて一向に謝れないでいる。向こうから言ってくれれば土下座するのに。。

中2になり、なぜか好きだった記憶もないけれど告白されたので付き合っていた、こういう経験はしておいた方がいいけれど、その人は辞めておいた方がいい。中学生ながら目移りがすごい人だから。後悔している、なんなら今でもイケメンスペック高男の子に何回も告白して漫画見たいな付き合い方をした方がよかったのではないかとでさえ思っている。

この頃からバスケノートという物があった。私はそれがどうも苦手で、出せと言われても出さずにいた。案の定それのおかげで顧問には怒られるし、なりたかったキャプテンにもなれない理由がそれだ、と言われて相当悔しい思いをした。

中学は市内では弱小チームだったので練習の時も楽な方楽な方へと行っていた。

若い頃の努力は買ってでもしろって言う言葉の意味がようやく分かった気がする。ここでもっと真面目にコツコツできていれば高校に行って無様な姿を見せることは少しでもなかったんだと思うとなんて自分て馬鹿なのかと思う。

中3になり受験勉強もろくにせず遊んでいた、自分。まあ勉強すれば志望校に行けたかもしれないけれど、高校は今の未来のままでいいと思う。

高校の友達は最強だから、この人たちと出会えないのならば勉強なんてしない方がいいとまで言える。

高校に入り県内バスケ事情も知らないまま、県ベスト8に入るような高校のバスケ部に成り行きで入部してた。その選択は間違ってはいないとは大声で言える。高1の時辞めようとまで思ったけれど、辞めなくてよかったー。もし未来のことを言っていいのならば私たちにはすごい監督が来るから一年のうちから自分が一番下手だと思って練習しとけと言いたい。

赤点だけとらないように勉強し、携帯が見つからないように生活さえしておけばいい。

高校2年になり、勉強もバスケもできない自分だったから、バスケをコツコツやれと死んでも死にきれないくらい後悔している。その年の冬、すごい人との出会いがあった。

その人は私たちのチームを一気にベスト4までのし上げた。あのときの嬉しさは忘れられない。だからこそ、そこに居たかった。そのコートで戦いたかった。自分がなにも努力していないせいでそのコートで戦うことはなかった。試合の思い出はギリギリ入れたベンチの思い出しかない。悔しすぎる、もったいない。そんな経験したくてもできないのに、

その悔しさはあの中学のバスケノートの時と同じくらいだ。

高校でもバスケノートは続いた。書いた方がいいに決まっている。なのに私は書かなかった。なのでフォーメーションすら覚えられなかった。人生の綻びだ。

そのまま高校総体になり、総体でも同じように悔しい思いしかしていない。怪我で半年以上できなかった人や後輩は、準々決勝で活躍していた。1点差で負けてしまうけれど、みんなかっこよかった。そこに私はいなかった。

そこで私は監督に言わた、『準備しとけよ。』その瞬間は私が出れるのかと思い舞い上がった。しかし私が出ることはなかった。あたりまえだ。バスケノートすら書かないやつがそんな大事で面白くて楽しくてかっこいい試合になんか出れるわけもない。当然の結果。

チーム全体はここまでやれたので悔しいという気持ちは少なかった気がする。

その時私は「あれ?私出てもないのに悔いとか言ってる場合?」と思っていたと思う。

そのままダラダラとやりたくないといいつつバスケを続けていた。最後の試合、私はビビってシュートを打てなかった記憶しかない。ダサすぎる。この一言が私のバスケ人生の言葉だと思う。最後に試合が終わり応援に来ていた友達から言われた「お前汗かいてねーじゃん、ひくわw。」そんなの自分が一番分かっていた。その瞬間泣きそうになったけど、別に泣かなかった。試合に出てないのに泣くなんかやばすぎる。

最後に試合の前に監督が大声でこう言った「総体の時みたいになるよ。」まさにその通りになった。

ダサすぎて、お話にならない。もうやめよう。

部活を引退し、そこから2年。容姿は変わったが中身はまだバスケを真面目にできなかった自分に対しての後悔で埋め尽くされ、後輩の試合を見るとみんなの努力が目に見えていつでも泣ける。努力ってすごいなって思う。できる人がすごい。

 

ここまでいろいろやりなおしたいことを綴ってきたけれど、一番言えるのはバスケノートは書くべきだ。と言うこと。

 

明日、死ぬかもしれない。そしたら私はバスケノートのことを考えて死ぬのだろうな。